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東京高等裁判所 昭和40年(う)1000号 判決 1965年9月29日

被告人 斎藤信幸

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数のうち八〇日を被告人の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人が差し出した控訴趣意書と弁護人大蔵敏彦・同小林達美が連名で差し出した控訴趣意書とに記載されたとおりで、これに対し次のように判断する。

弁護人の控訴趣意第一点について。

論旨は、原判決が被告人の原判示第一の窃盗の事実を認定した理由として、「右第一の窃盗の事実は、判示第一の窃盗未遂の事実と時間的にも、場所的にも共に接着し、その犯行の方法と態様も同類であつて、両犯罪事実は互に密接かつ一連の関係にあるものと見られるから、そうであれば、判示第二の窃盗未遂の事実が証明された場合には、この事実は、判示第一の窃盗の事実との関係において、同事実の存在を必然的に推理する蓋然性があり、右窃盗の事実も被告人等の犯行であるとする関連性が認められるし、またそれは情況証拠として、高い証明価値があるものとして許容することができるのである。」と説示しているのは、著しく論理が飛躍しており、このような事実の推断をした原判決には理由不備の違法があるというのである。

そこで考えてみるのに、なるほど原判決の説示のうち論旨の引用する部分はややことばの足りない点があつて、読み方によつては誤解を招くおそれなしとしないのであるが、これを原判決が事実認定の資料として挙示している証拠と対照して判断すると、原判示第二の窃盗未遂の犯行は上り準急東海四号九号車の後部デツキで数名の者によつて行なわれたスリの犯行であり、これに対し原判示第一の窃盗の犯行はその直前に同じ列車の七号車後部デツキで同じく数名の者によつて行なわれたスリであることが明らかであつて、しかも第二の犯行を行なつたと認められる数名の者の行動を七号車前部デツキでその以前から注視していた原審証人酒井猛、飯田守、天野伊三らの証言を総合すると、これらの者は磐田駅で七号車後部デツキに無理に押しながら乗り込み、次いで列車が掛川駅に着いたときいつたん車外に降りプラツトフオームを歩いて前部の九号車の後部デツキに乗り込み、そこで第二の窃盗未遂の犯行に出たというのであり、第一の窃盗の犯行はこれらの者が七号車後部デツキに乗りこんだ直後に行なわれているのであるし、その行動をともにした数名の者の中には黒い野球帽をかぶつた被告人のいたことが確認されているのであつて、原判決はこれらの事実を暗黙のうちに前提として原判示第二の事実から第一の窃盗の事実も推認されると説示したものと解されるのである。そして、このように解する以上、その判断はなんら事実認定の法則に反するものではない。論旨は原判示第一の窃盗はその方法が暴力的であるのに第二の窃盗未遂の方法はそうではないから原判決のいうように「同類」だとはいえないと主張するが、ともに列車内における集団スリである点では全くその犯行は同種であつて、同じ者がその情況に応じてあるいは通常の方法により、あるいは被害者を押し倒すなどの暴力的な方法を用いてスリの目的を遂げることも十分考えられることであるから、論旨の指摘する程度の方法の違いは前記の推論の正しさを左右するものではない。のみならず、原判決の全文を通読すれば、原判決は決して論旨の指摘する推論だけによつてその判示第一の事実を認定しているわけではなく、その挙示する証拠によつて認められる種々の間接事実たとえば七号車における第一の窃盗の被害品の一部が九号車での窃盗未遂の現場の近くに落ちていた事実などをもあわせて第一の事実を認定していると解されるのであつて、その事実の認定にはなんら経験上の法則に反するものがあるとは思われない。それゆえ、原判決にはこの点について理由不備の違法あるとはいえず、論旨は採用することができない。

同第二点について。

論旨は、原審において検察官のした冒頭陳述は違法であつて、原審の訴訟手続は法令に違反する、というのである。

まず、論旨は、検察官は右の冒頭陳述第一の二の中で被告人が結婚した際の媒酌人が斎藤信雄というスリの前歴者だと述べているが、この事実は検察官がついに立証しなかつたことで、かかる陳述は裁判所に予断を抱かせる意思でなされたものだというのであるが、記録によると、被告人の媒酌人が斎藤信雄であることは被告人の検察官に対する昭和三九年五月一五日付供述調書の中(記録五一四丁裏)に現われており、右の斎藤信雄がスリの前歴者であることは検察官が原審第五回公判期日に取調べを請求した「旅行的常習犯すり名簿」(当裁判所昭和四〇年押第三四七号の一三)によつて窺うことができるのであるから、検察官としてはこれによつてその事実を立証する意思があつたとみるべきで、この事実の陳述を目して証拠としてその取調べを請求する意思のない資料に基づいて述べたものということはできない。ただ、このような事実を冒頭陳述の中で述べること自体については問題がないわけではなく、これを本件公訴事実認定のための一つの間接事実とするというのであればその関連性には疑問があるといわなければならないが、もともとそれが被告人の経歴を説明した部分の中で述べられているところからみると、いわゆる情状に属する事実として陳述されたものと解する余地も十分あるのである。とすると、このような事実を本件のような否認事件の冒頭陳述の初めに述べることの妥当性はともかくとして、冒頭陳述としてあえて違法であるとまではいうわけにいかない。次に、論旨は、検察官が冒頭陳述の第二の部分の中で昭和三九年四月六、七、八の三日間の三島駅を中心とするスリ被害の事実を述べているが、これらの事実については被告人との結びつきがないのであるから、関連性のない事実を述べたもので違法だ、というのである。そこで、右の冒頭陳述をみると、被告人を含む数人の者が三島市に現われたころ三島駅またはその附近の列車内でスリの被害が発生し、その犯人の中に被告人がいたという趣旨の事実が述べられていることは所論のとおりであるが、それは被告人がその窃盗の共犯の一人だという趣旨のものと解されるから、冒頭陳述そのものとしてみるかぎり被告人との結びつきを欠いているとはいえない(もつとも、そのうち第二の五の5の事実はその陳述自体全く被告人との結びつきが示されていない。)。そして、原審訴訟手続の経過をみると、検察官がこの事実を立証しようとしていたことも認められるのである。したがつて、問題はむしろこのような事実と本件公訴事実ないしは被告人の情状との関連性にあると思われるが、このように他に同種の罪を犯しているということと本件公訴事実との関連性はさほど強いものではなく、その評価にあたつてはきわめて慎重であることを必要とするのであるけれども、犯行の態様・手口が集団的スリであるというように具体的に明らかにされている場合には、全く関連性を欠いているともいい切れないし、また本件公訴事実が立証されたのちに被告人の情状を考えるにあたつても、そのような事実の存在が無関係であるともいえない。としてみると、検察官が冒頭陳述の中でこれらの事実に言及したことは、必ずしも関連性のない事実を本件犯罪事実認定の間接事実として主張したものとも断定できないのであつて、これをもつて一概にその冒頭陳述が違法だということはできない。そればかりでなく、かりに以上の諸点を述べたことに違法な点があるとしても、原判決の設定した被告人の犯罪事実はこれらの諸事実を度外視しても他の証拠により十分これを認定することができるのであるから、原判決がこれらの陳述によつて不当な予断を抱き、そのために原判示のような認定をしたものとは直ちにいうことはできず、その違法が判決に影響を及ぼしたことが明らかだとは到底いえないのである。それゆえ、この点の論旨も理由がない。

同第三点および被告人の控訴趣意について。

論旨は原判決の事実誤認を主張し、特に被告人が他の者と窃盗を共謀した事実は認められないと主張するのである。

しかしながら、原判決の挙示する証拠を総合すれば原判示事実を優に認定することができ、一件記録および原裁判所の取り調べた証拠物をすべてよく検討してみても原判決の認定に誤りがあるとは考えられない。もとより共同正犯における共謀もしくは意思の連絡も罪となるべき事実の一部であるから、厳格な証明を必要とし、かつ合理的な疑を残さない程度に証明されなければならないのであるが、それは情況証拠によつて証明することも妨げないこともちろんであり、本件の場合はまさに情況証拠によつてその証明が十分だと判断されるのである。それゆえ、この点の論旨もまた採用することができない。

以上の次第で、本件控訴はその理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によつてこれを棄却することとし、当審における未決勾留日数の算入につき刑法第二一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新関勝芳 中野次雄 伊東正七郎)

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